smile killing



 花南は笑わない。

 一緒に美味しいご飯を食べていても、遊んでいても。
 嫌がっていないのは、表情を見ればわかるけれど。
 それでも、花南は笑わないんだ。


 日向花南……彼女は、俺の幼馴染。
 小さい頃から、ずっと一緒に遊んだりしていた。
 高校生になった今でも、変わらず仲がいい。
 家が隣同士というのも大きかったのかもしれない。
 つぶらな黒い瞳は、とてもかわいくて。
 さらさらと長い髪は、淡い栗色をしていて。
 小ぶりな顔は、守ってあげたくなるような感じだ。
 そんな俺は、密かに彼女に恋をしている。
 ずっと一緒にいたら、いつのまにかそう思っていた。
 可愛い幼馴染への愛情は、恋情へと変わっていた。
 もちろん、この事を彼女は知らない。
 また、俺は彼女の恋人を名乗るつもりもない。
 だって、恋人を笑わせられない彼氏なんて、情けないじゃないか。

 そんなて俺は今、近所の雑貨店に買い物に来ていた。
 俺の隣では、彼女がぼうっとしている。
 学校の課題で、マフラーを作らなければいけないらしい。
 自分はいらないから、俺に作ってくれるとのこと。
 他人が選ぶよりは、自分で見たほうがいいだろうと。
 彼女がそういうので、今ここにいるというわけだ。
 俺は花南に選んでもらおうと思ったのだが……
 センスがないから、と即答されてしまった。
 俺よりは、全然センスがあると思うんだけどな。
「それで……何色にするの?」
 俺の横で、彼女が尋ねた。
 目の前の棚には、色とりどりの毛糸玉が並んでいる。
 改めてみると、毛糸の種類の多さに驚く。
 もこもこした太い糸から、ひょろりとした細い糸まで。
 一色だけのもあれば、何色か混じったものまで。
「そうだなあ、黒……とか?」
「黒が好きなの?」
「黒とか、灰色とか――赤色も好きだな」
 俺がそういうと、彼女は一つの毛糸玉を手に取った。
「じゃあ、こんな色はどうかな」
 彼女が見せてくれたのは、黒と灰色が混ざり合った毛糸玉。
 うっすらと、赤色も混じっているみたいだった。
 結構好きな色だな……俺はそう思った。
「おぉ、よく見つけたな。これにするよ」
「そんな簡単に決めていいの?」
「だって、綺麗な色じゃないか」
 俺がそういうと、訝しげな顔で毛糸玉を見る花南。
「ならいいけどね。じゃあ、買ってくる」
「えっ、いいよ。俺が払うって」
「別に。作るのは、私だし」
 そういい、彼女はさっさとレジへと行ってしまった。
 誰が作るかの問題じゃないんだけどな。
 一応俺も男だし、ちょっと……ね。
 女の子に払ってもらうのには、少し抵抗があった。
 しかし、レジを見ると、彼女はもうお金を払っていた。
 仕方がないか、と俺は諦めて店の外へと出ることにした。

 花南が笑わなくなったのは、いつからだったろうか。
 俺と花南は仲が良かったけれど、二人の家の親は違った。
 俺の親はどちらかというと温厚で、平和主義。
 彼女の家は厳しくて、怖い雰囲気だった。
 夜は五時までに帰ってくるなど、門限も厳しかった。
 俺はよく母親にいわれた。
『花南ちゃんと、いっぱい遊んであげなさい』と。
 きっと母親は、幼い頃から勉強や習い事を叩き込まれる彼女を可哀想に思ったのだろう。
 俺は別に可哀想だから、という理由で相手をしていたわけじゃないけどな。
 いつから、というのには間違いがある。
 俺は、彼女の微笑を見たことがないのだ。
 でも、まさか生まれてから一度も笑ったことがない、そんなことはないだろう。
 家が厳しいから、彼女は笑わなくなってしまったのだろうか。
 そんな生活は、楽しいのだろうか?
 俺は彼女が困っていると、すぐに手を貸してあげた。
 転んだら助け起こして、落し物をしたら探してあげて。
 解決できないこともあったけれど。
 それでも、なんとか仲良くやっていたのだ。
 だから、俺はいつか花南を笑わせたい。
 眩しい、輝くような笑顔を見てみたい。
 また、笑わせるのは、俺でありたい。
 そんな風に思うのは、俺のわがままなのだろうか。
 雑貨店の帰り道、ひとりそんなことを考えていた。

 一ヶ月経った頃。
 俺は花南に呼び出されて近くの公園に来ていた。
 この間のマフラーが出来上がったらしい。
 俺が公園に着くと、花南はもう既にそこにいた。
 厚手のコートを着て、寒そうに白い息を吐いている。
 彼女へ駆け寄っていくと。
「あ、来たんだ」
「来たんだ、ってなんだよ。呼んだのは花南だろ?」
「そうだよね、当たり前か」
「なんだ、俺が来ないとでも思ったのか?」
 まさか、と彼女は首を横に振った。
「だって私が困ってると、いつだって来るじゃない。そして、悩み事を解決して帰っちゃうんだから」
 少し、恨めしそうに俺には聞こえた。
 何故だかは分からないが、彼女から少しだけ悪意を感じたからだ。
 俺はそれを吹き飛ばそうと、マフラーの話をする。
「えっとそれで、マフラー、完成したんだろ?」
「うん。とりあえずは出来たよ」
 そういって彼女が鞄から取り出したものは。
 赤、黒、灰色の毛糸で編まれた、随分と長いマフラー。
 その編み目は素人がやったとは思えないほどに、綺麗だった。
 純粋にすごいと思った。
 俺は不器用だから、絶対こういうのは出来ないに違いない。 
 男の得意技が編み物でも、なんの利点もないのだけど。
「すごいな、これ一人で作ったのか?」
 俺がそういうと、彼女は胡散臭そうに俺を見た。
「当然でしょ。いつまでも子供じゃないんだから。それに私は、一人でやらないといけないの」
「そうか、これ貰っていいんだよな?」
「うん。私はもう持ってるから、いらないよ」
 そういうと彼女は俺にマフラーを差し出した。
 受け取り、早速首に巻いてみた。
「あったかいや」
「まさか。体温を吸収して暖かくなるのよ。そんなすぐに暖かくならない」
 マフラーとは、体温を吸収して暖かくなるものだったか?
 マフラーというだけで、無条件に暖かいというイメージがある。
「花南が作ってくれたから、あったかいんだろ」
「そう、そんな不思議なことがあるんだ」
 彼女は未だにこっちをじっと見たままだ。
 ここで、ようやく俺は立ったままなのに気づいた。
「ちょっと、時間あるか?」
 彼女はこくりと頷いたので、俺はベンチに座るように促した。
「何か、話すことでもあるの?」
 そういって、俺を見る彼女に、尋ねた。
「花南ってさ、どうして笑わないんだ?」
 俺の言葉を聞いた彼女の顔が、少し歪んだ。
「私、いつも怒った顔しているの?」
「いや、別にそういうわけじゃないけど。ただ、笑った所見たことがないなって」
 彼女は少し考え込むそぶりをした。
「……そう。確かに、笑ってない。だって、笑えない」
「親とかが厳しいのか?」
「親? それは関係ない。笑いたくない理由があるだけ」
「俺に解決できることか?」
 すると、彼女は力強く、きっぱりといった。
「できない。方法はあるけど、絶対にやってくれないよ」
「なんだ、いってみろよ」
「……嫌」
 そういうと彼女はそっぽを向いてしまった。
 人気のない公園に、微妙な空気が流れた。
 どうしようもないので、花南と別れて家に帰ることにした。
 俺は彼女じゃない。解決できないことも、たくさんあるだろう。
 でも俺は少しだけ寂しかった。

 冷え込みが厳しい朝。
 俺は花南と一緒に駅のホームで電車を待っていた。
 もちろん首には彼女が作ってくれたマフラーを巻いてある。
 俺の隣では、彼女が手袋をした手に息を吹きかけていた。
 出勤や通学する人々と、駅のホームはかなり混雑していた。
 彼女と離れないように気をつけていると、アナウンスが流れた。
 どうやらもうじき電車が到着するらしい。
 危ないので、白線より後ろに下がっているように、とのことだった。
 早めに乗り込みたいので、俺は空いている列を探して、先頭に並んだ。
 俺はそのまましばらく待っていた。
 列車の先頭車両が見えた、その時だった。
 俺の体が、ぐらりと前に傾いた。
 慌てて何かを掴もうとした手も、空を切る。
 いったい誰が俺を押したのかなんて、考えている暇はなかった。
 電車街の人の悲鳴が聞こえて。
 見慣れた車両が間近に迫って。
 鈍い衝撃が、体全体に走った。
 机に思いっきり肘をぶつけたような、そんな音がして。
 最後に聞こえたのは――泣いているような、笑い声だった。

「あっははは。っふふ、あっさり。くくくっ、落ちたよ。……ひゅっ」
 笑いすぎて、咳き込んでしまった。
 涙が出ているような気がしたけれど、そんなことはどうでもよかった。
 周りでは、眼を背けている人や、顔を手で覆っている人がいる。
 駅員が線路を覗き込んでいるが、もう彼は助からない。
 だって、ほら。
 頭が、真っ赤なスイカみたいに割れているんだから。
 風にのって飛んできた赤いマフラーを勢いよく踏みつける。
 くるくると踊るように回りながら、進む。
 行きかう人々が私を不審な目で見ているのがわかった。
 大騒ぎのホームを抜けて、トイレに入る。
 個室に駆け込んで、嘔吐した。
 何故かわからないけれど、きもちがわるかった。
「あっははははは。はははっ。うっ」
 口をぬぐって、笑って、また吐いた。
 しっかりと流してから、私は一人微笑んだ。
 これで、彼はもういない。
 だから、私は思いっきり笑うことができる。
 彼はいつも何かと世話をやいてくれたけど、邪魔だった。
 私はいつだって一人でやろうとしていたのに、彼はどこからともなく現れた。
 そして、いつも彼が終わらせてしまった。
 私の親は、厳しかった。
 何事も、自分自身の力だけでやりなさいと、そういわれてきた。
 それなのに、彼は私の手伝いをした。
 だから私は、親に折檻されていた。
 水を張った湯船に頭を押し付けるのを、折檻というのかは知らないけれど。
 私は、彼がいたから笑えなかった。
 でも、もう大丈夫。
 だって、私が彼を殺したんだもの。
 それに仕方がなかった。
 彼に死んでくれと頼んでも、ダメだったと思う。
 捕まって、刑務所に入ったって構わない。
 私はもう笑えるのだから。
 さあ、学校へ行かないと。授業が始まってしまう。
 私は、笑顔で走りだした。
 誰にも見せた事のない、極上の笑顔で。
 
 
 
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